池田先生は「分断させてはいけない」と仰っていました。
「嫉妬、陰口、陰湿 ── こうしたことから団結が破壊される。心が分断される。それは学会の世界ではない。(2006.10.28)」
「師弟の心を分断しようとする悪とは、猛然と戦え! 打ち砕け! それが、学会が永遠に発展しゆく根本の道である。(2006.08.11)」
「信心を失い、嫉妬にかられ、虚栄に目がくらんだ「師子身中」の反逆者が、師弟を分断する。増上慢が仏法を破壊する。(2009.01.08)」

「分断」の対象は「組織」「同志」であり、「師弟」です。
師弟は個人の心の領域で、人ごとに「師弟」の定義やそこに求めているものも違います。先生を利用する輩もいれば、先生を尊敬し、求めて、実践している人もいます。
外見だけで実像を見極める事は難しいかもしれません。先生を口にしながら、陰でやっていることは正反対の輩もいます。
ここでは、組織の分断に関して記します。

「分断はダメ」と言われても、しかし現実は「対立している(してしまっている)」

分断を回避する方法はないのでしょうか?
平和的に回避するには、「共通項を探す」のが良いと思われます。

議論や事態が紛糾した時には、「筋(すじ)」が大事です。
面子や利益などの個人の執着を超えて、多くの人が納得するには、「筋」が大切であると考えます。

そのためには、「正しい物事の追求」が必要となります。
「本当は何が正しいのか?」
「本当はどうすべきなのか?」

「筋」と言う表現は古臭い?言い方かもしれません。「正論」と言っても良いでしょう。
そして、それは誰もが納得できるものであるべきです。
大勢が合意できる「筋」が見つかっても、名誉や利益に執着するあまり、納得できない者も必ず居ます。
なんだかんだと理屈を述べて、自説をもっともらしく主張します。
しかし、執着のあまり、「筋(正論)」から逸脱すれば、集団に属する必要がなくなってしまいます。
「正論」に背くものは、集団に居られなくなります。自ら去るか追放されるかです。
組織の中に残って、正論を破壊するものは反逆者です。
「正論」を無視し、己の執着を強行すれば、組織が崩壊します。そして、その組織は本来の組織ではなくなります。
学会で言えば、学会の「筋(正論)」を逸脱すれば、「それはもはや創価学会ではない」ということです。

分断を回避するには、「正論」を明確にしなければならない、と考えます。