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創価学会邪教セクトマフィアの 実験、犯罪、人権弾圧的 ファシズムの実体と秋谷栄之助、石田次男、原田、谷川の邪義邪法を日蓮仏教から壊滅しなければならない。 池田氏の平和主義、人間革命、反戦、反核戦争は 米軍、CIA, 自民党に破壊されてしまった。 #創価学会 #ストーカー#テクノロジー犯罪 # 朝木議員暗殺疑惑事件、# 伊丹十三監督暗殺疑惑事件 # 三井麻生変死疑惑 # 創価学会犯罪、 # 全体主義 #ナチス、#ファシズム # 都議会選挙 # 参議院選挙 # 買収選挙 # 住民票移動事件 # 替え玉投票 #創価学会対策連絡会 # 秋谷栄之助、 #原田稔 #谷川副会長、 #佐藤副会長# 八尋頼雄弁護士# 宮川日護 #ハタチ教学 #羽田地克利 #浅見茂 #石田次男 #牧口常三郎、 #戸田城聖 # 池田大作 # 大石寺 # 保田妙本寺

2020年06月

脱退する芸能人 創価教は日蓮大聖人を利用するカルト、連続殺戮疑惑悪魔団体、ナチスファシズム創価本部‼️


泉ピン子、落合監督夫婦、工藤夕貴、工藤静香木村拓哉夫婦、

杉田かおる、細川たかし、氷川きよし あくまでも 世間話のネット記事からです。

カルト創価ナチスの査問、恫喝、除名、暴行、村八分、仲間外れ等 前近代的の村社会は 人類社会の害であり ナチスファシズムを復活する可能性が高い

外道の似非宗教ビジネスです。


以下創価ナチス関係の芸能人 ですか?多数脱退、死亡、離婚、廃人に成っています。一般人より厳しい
罰があります。

最近の久本雅美の人相は憐れです。可哀想ですね‼️早く脱退してください‼️
有名人だと目立ちますからね…。

8割以上の皆さんがカルト創価信濃町本部から脱退する可能性が高い。

研ナオコ(歌手)
沢たまき(歌手)死亡
山本リンダ(歌手)
雪村いずみ(歌手)
朝比奈マリア(タレント)障害者?
内海圭子(タレント)
内藤やす子(歌手)障害者
島田歌穂(歌手)
朱里エイコ(歌手)脱退?
田中美奈子(歌手)
相田翔子・鈴木早智子(歌手・元Wink)
千堂あきほ(タレント
谷山浩子(歌手)
安則まみ(PSY.Sボーカル)
岸本加世子(女優)
泉ピン子(女優)脱退
中島朋子(女優)
白川和子(女優)息子孫死亡
原田知世(女優)
墨田ユキ(女優)
松あきら(政治家)
中島唱子(女優)
天地真理(タレント)脱退?
久本雅美姉妹(タレント)
海原しおり(タレント)
柴田理恵(タレント)脱退?
小川菜摘(タレント)
高田恭子(歌手)
田村正和(俳優)一般人
加藤茶・仲本工事(ドリフターズ)
所ジョージ(タレント)
田代まさし・桑野信義(ラッツアンドスター)脱退?
神田利則(タレント)
木根尚登・宇都宮隆(元TMN)
橋本章司・八島唱一(ハウンドドッグ)
小柳昌法(リンドバーグ)
浅岡雄也(FIELD OF VIEW)
澤戸啓・古賀いずみ(カズン)
大森隆司(サザンオールスターズ)脱退
上田正樹(歌手)脱退?
森本尚幸(BORO)
高橋ジョージ脱退?(THE虎舞竜、他メンバーのほとんど)
佐藤竹善・西村智彦・藤田千章(シングライクトーキング)
アルベルト城間(ディアマンテス、他メンバーも)
加藤高道(狩人、もう一人も)
細川たかし(歌手)脱退
平尾昌晃(作曲家)死亡
内山田洋(クールファイブ)死亡
飯野おさみ(俳優、なべおさみ)
市川右近(歌舞伎俳優)
彦麻呂(タレント)
林家こん平・こぶ平・いっ平(落語家)
小松方正(俳優)
トミーズ雅(タレント)
田中義一(タレント)
畑正憲(ムツゴロウ王国)
愛甲猛・門倉健・山本和範・西村徳文(プロ野球選手)
栗山秀樹(日本ハム監督)
旭道山(元力士・元政治家)
水戸泉(元大相撲力士)
武秀親方・尾車親方(大相撲)
八巻健二(極真空手)
小林浩美・谷福美(ゴルファー)
青島文明・長谷川健太(サッカー、他奈良橋・野口等)
佐伯美香(バレーボール)
谷津嘉章・ライオネス飛鳥・長与千種・ダイナマイト関西・ジャガー横田(プロレスラー)
安田冨男(騎手)
スザンヌ・ヴェガ(歌手)
ティナ=ターナー(歌手)
スティービー=ワンダー(歌手)
ハーピー=ハンコック(ミュージシャン)
ジョージ=チャキリス(俳優)
ロベルト=バッジョ(サッカー)
チョウ=ユンファ(俳優)
宮本輝(作家)
etc……

補足
わからないから質問しているんじゃないですか!
某サイトにこれだけの名前が挙がっていましたが、確かに故人や元学会員の人もいるかもしれません。
そう言うのを含めて質問させてもらっているんですけれどね。


ベストアンサーに選ばれた回答
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hinotamaruさん

★『聖教新聞』等に、学会員だという情報が出ていない(と思われる)人

内海圭子(タレント)
千堂あきほ(タレント)
安室奈美恵(歌手)
原田知世(女優)
墨田ユキ(女優)
小川菜摘(タレント)
田村正和(俳優)
所ジョージ(タレント)
田代まさし・桑野信義(ラッツアンドスター)
浅岡雄也(FIELD OF VIEW)
小松方正(俳優)

田中義一(タレント、義剛?)
畑正憲(ムツゴロウ王国)
西村徳文(プロ野球選手)
栗山秀樹(日本ハム監督)
青島文明(サッカー)
スティービー=ワンダー(歌手)


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飯野おさみ(なべおさみは別人)→元ジャニーズのメンバーで学会員。
小川菜摘→たぶん学会員。
小松方正→たぶん学会員。
西村徳文→たぶん学会員。
ジョージ・チャキリス→たぶん学会員。

加藤茶は『聖教グラフ』に、唱題している写真が載った。
林家こん平や三遊亭遊三(三遊亭小遊三の師匠)は学会員。
田村正和の母親と次兄(実業家)は、学会員として『聖教新聞』に載った。
栗山英樹や中野信子(脳科学者)は創価学園出身。

◎◎◎◎邪教の魔の軍門に下った 創価本部信濃町は

第二の身延山です。またオーム依頼の反社会的犯罪組織の素顔を池田氏の 居なくなり本性を現した‼️

インタビュー

妨害された側の出版社代表が語る
言論出版妨害は歴史的事実  歴史改竄は許されない

遠藤留治(日新報道代表取締役)

 昭和四十四年末から四十五年にかけて一大社会問題となった創価学会・公明党による言論出版妨害事件。そのターゲットになったのは、気鋭の政治評論家として売り出していた藤原弘達明治大学教授が執筆した『創価学会を斬る』(日新報道刊)だった。
  現在、(株)日新報道の代表取締役を務める遠藤留治氏は、当時、この『創価学会を斬る』の出版・編集担当として、創価学会・公明党による著者の藤原氏、そして日新報道に対する直接的な圧力や妨害、さらには出版取次会社や書店に対する圧力の事実を実体験した一人。
  今回、その遠藤氏に、当時、つぶさに体験した創価学会・公明党による言論出版妨害の事実を、生き証人として語ってもらった。

――言論出版妨害事件から早くも三十四年の月日が流れ、すでに世間の多くの人の記憶から薄れてしまっていること、また、活動の主体である青年部員などは、当時の実状を全く知らないことを背景に、いま創価学会は言論出版妨害事件について、自らは加害者ではなく被害者であるとか、あの事件は、創価学会・公明党の勢力伸張を阻もうとした政治的謀略だなどと主張しています。

 遠藤 とんでもないことです。創価学会・公明党が自分たちにとって都合の悪い批判的言論を封殺するために、出版を妨害したことは歴史的事実です。時間的経過にともなう事件の風化を利用して、歴史の偽造を図ろうなどとは、許されることではありません。
 そうしたウソを平気でつき、歴史まで改竄しようとする傲慢でファッショ的な姿勢こそが、『創価学会を斬る』でも問題とされた、創価学会の悪しき体質なのです。

 ――では、具体的にお聞きしますが、そもそも『創価学会を斬る』を出版された動機とはどういったものだったのでしょうか。

 遠藤 昭和四十四年十月末に発刊された藤原弘達氏の『創価学会を斬る』は、もともと「この日本をどうする」という藤原弘達氏の警世キャンペーンシリーズの第二巻として企画されたものでした。第一巻は『日本教育改造法案』で、教育ならびに教育界の問題を取り扱ったものだったのです。藤原弘達氏が、創価学会・公明党を取り上げた理由は、『創価学会を斬る』の文中にある次のような問題意識に基づいています。
 「創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないのか」
 「もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う」
 それだけに出版の企画・検討の段階で藤原弘達氏は、公明党と自民党が連立政権を組めば、ファッショ政治になると、何度も何度も言われていました。
 ――『創価学会を斬る』の中にある次のような主張ですね。
 「ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多くもっている」

 遠藤 その通りです。現在、日本の政治体制は、自・公・保連立政権となってますが、日本の政治は国政も地方も創価学会・公明党に蹂躙されているといっても過言ではありません。すでに三十年以上も前に、今日の事態、危機を予測し、警鐘を鳴らした藤原弘達氏の炯眼にあらためて驚くばかりです。

 ――『創価学会を斬る』には、事実関係等に些末な間違いはあるものの、創価学会の本質を衝き、その危険な体質を炙り出していただけに、創価学会・公明党はエキセントリックに反応、熾烈な圧力をかけたのだと思います。具体的な圧力は、まず、抗議電話から始まったということですが。

 遠藤 先ほど申し上げた「この日本をどうするシリーズ」第一巻の『日本教育改造法案』を昭和四十四年八月に出版した際、国鉄(当時)、私鉄の各線に中吊り広告を出したんですが、その広告の左端に次作として『創価学会を斬る』の出版予告を載せたんです。抗議電話が始まったのは、この出版予告を出した直後からでした。
 会社にいると電話がジャンジャンかかってくる。それは「日本教育改造法案」についての問い合わせ電話ではなく、ほとんどすべてが『創価学会を斬る』についてのものでした。「いったいどういう内容なんだ」「いつ出版するんだ」という探りの電話から、「出版をやめろ」とか、「ぶっ殺すぞ」「地獄に堕ちるぞ」という脅迫電話まで、ひっきりなしでした。もちろん名前は名乗りません。一方的に怒鳴りまくった上で電話を切るというパターンが延々と続きました。
 また、この抗議電話とともに、舞い込んだのが抗議の葉書や手紙でした。段ボール何箱分になったでしょうか。とにかくもの凄い数でした。
 当時、すでに「鶴タブー」と言われていた創価学会による批判的な記事に対する圧力の噂は、広くマスコミ界、言論界に流れていましたので、創価学会について批判的な本を出版すると決めた時から、圧力はあるものと思っていましたが、激しい抗議電話や手紙の数に、これは容易ならざる事態だと改めて痛感させられました。

 ――当然、日新報道ばかりではなく、著者である藤原弘達氏の所にも、抗議電話や抗議の葉書、手紙が送られてきたわけですね。

 遠藤 それはひどいものでした。やはり段ボール箱で何箱にものぼったんじゃないでしょうか。電話での脅迫もひどいものでしたので、警察がそれとなく藤原弘達氏のお子さんなど家族の警備をしたほどでした。
 ですから藤原弘達氏は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として『創価学会を斬る』の執筆を続け、私たちも移動しながら編集作業を続ける有り様でした。
 なお、この抗議電話や葉書は出版後もますますエスカレートし、内容もひどいものでした。

 ――そうした動きと並行して、創価学会・公明党の幹部である藤原行正東京都議が、池田大作会長の指示を受けて、藤原弘達氏と日新報道に出版の中止を申し入れてきた?

遠藤 八月三十一日に藤原行正都議が、藤原弘達氏の自宅に訪ねて来て、出版の取りやめを求めてきたんです。もちろん藤原弘達氏は拒否しました。また、同時に藤原行正都議は、私どもの会社に対しても面談を申し入れて来ました。もとより私どもとしても圧力があることは予想していましたし、断固、創価学会の圧力を跳ね返して『創価学会を斬る』を世に出そうと、藤原弘達氏とも固く約束していましたので、藤原行正都議の申し入れを断りました。
 その後、藤原行正都議は、秋谷栄之助氏(現会長)を伴い、再び、藤原弘達氏宅を訪ねてきて、再度、出版の中止を申し入れたのです。もちろん藤原弘達氏はその申し入れを拒否しましたが、創価学会・公明党による言論出版妨害の事実が、後々、言った、言わないで誤魔化されるようなことになっては大変だという思いから、この時の会談の模様をテープに録音しておいたのです。これが、後に言論出版妨害の動かぬ証拠になりました。
 ――結局、電話や手紙による脅しも、藤原行正都議、秋谷氏による出版の取りやめの圧力も不調に終わった結果、創価学会・公明党というより、池田会長が出版の中止を自民党の田中角栄幹事長に依頼したため、田中幹事長の登場ということになったわけです。

 遠藤 藤原弘達氏は田中幹事長と面識がありましたから、田中氏の顔を立てる意味で、二度ほど赤坂の料亭で会ったのです。その際、藤原弘達氏と田中幹事長の面談の様子を、隣の部屋で池田大作会長、竹入義勝公明党委員長が聞いていたというのは有名な事実です。
 結局、田中幹事長の仲介も不調に終わり、むしろ田中幹事長という与党の大物政治家までが出版に圧力をかけたことを、藤原弘達氏が明らかにしたことから、創価学会・公明党による言論出版妨害事件は、一大社会問題、一大政治問題へと発展していきました。

 ――田中氏に藤原弘達氏の懐柔を依頼する一方で、創価学会・公明党は、書籍流通の取次会社や書店に圧力をかけ、『創価学会を斬る』を世に出さないよう画策します。その結果、取次や書店に配本を拒否されたということですが。

 遠藤 ひどいものでした。日販、東販という大手書籍流通会社をはじめ、のきなみ拒否です。「取り扱えない」というので、「なぜだ」「どうして」と理由を聞くと、誤魔化していましたが、そっと創価学会の圧力であることを教えてくれる業者もありました。結局、書籍の配本契約を結んでいた十一社のうち、初版の配本を請け負ってくれたのは栗田書店一社だけという悲惨な状況でした。

 ――書店にも軒並み圧力がかかっていた?

 遠藤 潮の社員や「聖教新聞」の社員などが書店回りをして、「置くな」と圧力をかけていたんです。「『創価学会を斬る』を置くと、『人間革命』などの売れ筋の創価学会の本を引き上げるぞ」という脅しだったそうです。それでも中には、「これはいい本だ」といって置いてくれる気骨ある本屋さんもありました。
 ですから『創価学会を斬る』は四十四年の十月末に出版したものの、ほとんど流通には乗らず、書店にも置いてもらえないので、社員が現物を風呂敷に包んで書店回りをして、直談判で置いてもらえるように交渉し、やっとの思いで売って貰うという有り様でした。

 ――その後、藤原弘達氏が創価学会・公明党による言論出版妨害の事実を明らかにしたところ、国民世論の大きな反発を招き、事態は大きく変わっていくわけですが。

 遠藤 それでも最初は公明党の竹入義勝委員長や矢野絢也書記長が「事実無根」と否定するなど、強気でしたが、四十五年の国会でこの問題が取り上げられるようになってから、火がつきました。
 ただ、藤原弘達氏が創価学会・公明党による言論出版妨害の事実を明らかにする以前、私も「朝日新聞」や「読売新聞」など、全国紙の記者や編集幹部に会って、創価学会・公明党がこんなひどいことをしていると事実を説明しました。ところが、彼らはこの問題を全く扱おうとはせず、政治問題化してから初めて扱うようになったんです。このマスコミの怠慢には本当に失望し、怒りを憶えました。
 今日も、創価学会の莫大な広告費や「聖教新聞」の印刷費、購読部数、視聴率などの前に、新聞・テレビなどの巨大メディアは屈し、創価学会問題を積極的に報じようとしませんが、当時から彼らは、勇気とジャーナリズム精神を喪失していたと言わざるを得ません。

 ――今日、ただいまも創価学会は、自らにとって批判的な言論の抑圧に血道をあげています。当時から分かってはいたことですが、今回、「新・人間革命」で言論出版妨害の事実を否定し、言論出版妨害事件は、創価学会・公明党を貶めるための政治的謀略だったと主張している事実は、結局、昭和四十五年五月三日に池田会長が行った「謝罪」が、世間を欺くための芝居にすぎなかったということを自ら認めたということです。
 あらためて創価学会の反省なき無残な体質が明らかになったといえますが、こうした創価学会の主張を聞いて、どんな感想をもたれますか。

 遠藤 本質的には、当時となにも変わっていないということです。
 先ほど、藤原弘達氏が『創価学会を斬る』の中で鳴らしていた警鐘を紹介しましたが、言論の自由を侵害した創価学会・公明党が政権与党の一角を占めている事実に、愕然とせざるを得ません。
 創価学会・公明党が基本的人権である言論の自由を侵害したという歴史的事実を、きちんと後世に伝え、藤原弘達氏が叫んだ「日本をファシズム国家にしてはいけない」との警鐘を乱打する必要を、あらためて痛感します。

遠藤 留治(えんどう・とめじ)一九三七年福島県生まれ。数社の出版社の編集・企画・営業を経て、現在、株式会社日新報道の代表取締役。


正しい全体主義
「国家を維持するだけの力とは、現実になんであるか、と問うならば、それを二三の言葉に要約しうる。すなわち全体のために個人を犠牲にする能力と意思である、と」(わが闘争)

この言葉ほど、全体主義を象徴的に表現したものはない。
「全体のための個が犠牲になること」は、封建社会のみならず、古来より実践されてきたし、企業組織が中心の現代社会では、あまりに当然な考え方だ。
もしも、株主総会で企業経営の実態を報告する際、一々語尾に、「私個人では、必ずしも企業の経営方針に賛同できないのですが…」などとつけ加えれば、即刻、クビになる(爆笑)
「長いものにまかれろ」は、現代組織社会でも必須の生き残り戦術だ。
しかし、人々は、実は古来から、「内部告発の重要さ」についても気がついていた。
組織の健全な進歩発展のために、ときには、組織の不正をすすんでさらし、是正をもとめていかなくてはならない。
最近、NHKクローズアップ現代では、ウイッキーリークを紹介していた。http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2959
一オーストラリア人が中心になり、スエーデンにある企業のホスティングサービスを拠点として、、企業や国家の内部告発者による内部情報をインターネットで公開するというものだ。
日本でも、内部告発者によって、尖閣沖で起きた、中国漁船衝突を映した映像が公開された。
その是非に関して、強く批判する人がどの立場でも多かったのだが、公開を必要と感じた人の気持ちまでコントロールするべきでないし、またできない。
実のところ、こうした公共の利益に拘る情報を秘密にしておくというのは、もはや不可能な状況になってきている。むしろ、公共の利益のために、内部告発者の地位や身の安全を積極的に保証、保護する法整備が求められている。
まずは、一切の公共に関する情報を無制限、無条件で公開するとした上で、その後、その情報をどう扱うかについて、新たなルール作りをするしかないのではないか。せいぜい公開方法や時期を制限するなどしかないだろう。
創価学会でも、今から30年くらい前、元教学部長だった原島氏や顧問弁護士の山崎氏が中心となって、大量の内部文書がもちだされ、流出した。
外部のジャーナリストがその実物コピーをみて驚いたのは、一民間の宗教団体にも拘らず、マル秘書類が多すぎるという事実だ。言い換えれば、創価学会は、それだけ一般国民のみならず、学会員を欺き続けたということだ。
その後、30年間、創価学会の内部で、どんなに新たな、大量のマル秘、内部文書が蓄えられたか知る由もないが、その量、種類と規模は、一般からみても驚くものに違いない。先駆的役割を果たし、情報を漏らした、山崎、原島の両氏が近年、相次いで亡くなったのは残念でならない。
その後、原島氏、山崎氏だけではなく、様々な幹部が創価学会=公明党を離反した。
わけても、竹入、矢野の元公明党委員長の離反は、創価学会=公明党の内部矛盾の実態が決定的になった。
それに対して、一々、池田が示したようなヒステリックな反応では、ただ一般国民から笑い者にされるだけだろう。
より重要なのは、創価学会が北朝鮮のように、
全体主義的、孤立主義的、秘密主義を維持していくことは、もはや、不可能という事実を学会首脳は気がつかなければならない。
同様に、創価学会と密接な関係にある公明党が真に国民政党になる(もう何十年も言われてきたが(笑))ためには、まずは、オープンになるしかないだろう。言い換えれば、すべてのプロセスをオープンにするしかないのだ。(どう公職選挙の候補者を選ぶか、党の役員を選挙で選ぶなど)
党の中枢役員に、創価学会出身者以外の人を大量に登用すべきなのは、論を待たない。
いかなる次元の組織であれ、「個が公のために犠牲になる」べきでないし、もし、従来の組織の利益を最優先するという習慣を維持していくなら結局は、その組織の内部矛盾が大きな膿となって、結局は全体を腐らせることにもなりかねない。
もう、池田への国会証人喚問は、非現実的で、意味もないからないだろうが、かつて、公明党国会議員が命懸け?で阻止したような状況は、あまりにみっともないから、しない方がいい。あれでは、全国民に公明党議員が実は、創価学会の私党であることを証明しているようなものだ。もしも将来、何らかな状況で、創価学会幹部が国会で証言を求められる状況になれば、無条件で、積極的に協力するべきだろう。
現代に於いては、企業組織、民間団体、さらには、国の組織が国民全体への説明責任を負う状況は益々、増えてくるだろう。いかなる組織であろうと、社会責任から逃れられない。
特に大企業などは、いかに社会責任を果たしているか成績となって公表され、企業価値をはかる重要な指標になっている。公害被害を出さないようにするだけでなく、地域交流や大衆教育への貢献も求められている。
社会全体で、個と全体が有機的に拘らなくてはならない。いい意味での、全体主義が求められてきている。
宮沢賢治が主張した、「全体が幸福でなければ、個人の幸福はない」という自覚を一人ひとりが持つしかないのだ。現代では、そのスピードが、加速されつつある。

今、改めて問う創価学会=公明党の危険な体質


?創価学会、池田大作のよき理解者である、脳科学者茂木健一郎氏に問いたい。
お前の脳、大丈夫か?以下引用。
★2001年7月22日(日)「しんぶん赤旗」
●創価学会・池田大作氏に問う
31年前の「猛省」は世をあざむく虚言だったのか
不破 哲三
http://www.jcp.or.jp/tokusyu/enzetu-fuwa-shii/2001_7_22fuwa_souka_ikeda.html
三十一年前に池田氏がおこなった「猛省」の言葉の数々は、世をあざむくための虚言(うそ)だったのか、と。
 そして、この告白が創価学会と公明党の本音だとすれば、この集団は、本音をおしかくした巨大な虚言によって、三十一年にわたって日本の国民と世論をもてあそんできた、ということになります。いったい、この集団は、日本の社会と国民そのものを、何と考えているのか、そのことがあらためて問われるではありませんか。
 以前、池田大作氏の側近であり、言論問題と「猛省」講演の時期にも、身近にいた原島嵩氏(一九七〇年・教学部長、『大白蓮華』編集兼発行人、副青年部長、一九八〇年に除名された)が、池田氏と当時かわした会話を、その著書のなかで、次のように記録していますが、私は今回の文章を読んで、原島氏の話がまさに池田氏のありのままの姿の記録であったであろうことを、あらためて痛感しました。
 「言論問題の責任をとって、池田先生が『関係者の方々にお詫びに行きたい』などというのも、やはり建て前であったことはその後の歴史が明確に物語っています。事実、その当時、逆に、私にすごい形相で『タカシ!(私の名前) いいか! 必ず仇をうて、いつか、この本は何だ!と本人の前にたたきつけるのだ』と、それは恐ろしいけんまくで言うのでした。私は、『ハイ! 必ず先生の仇をうちます!』と返事をし、必ず先生を苦しめた人間たちを先生の前にひれふさせてみせるという誓いを心に決めたのです。
 しかし、結局のところあの五月三日の発言は、一時撤退、ないしは迂回作戦にすぎなかったのです。報道関係者、文化人を多数呼び、公の席上発表したことも平気でホゴにしてしまうことが、はたして仏法の上でも、社会の上でも許されることなのでしょうか」(原島嵩『池田大作先生への手紙――私の自己批判をこめて』一九八〇年)
何をやっても自分は「仏」、批判者は「仏敵」
この究極の独善主義に未来はない
最後に、“法悟空”の文章が、創価学会・公明党およびこれと連合するものの陣営に、新しい矛盾を激発する深刻なページを開いたことを指摘しておきたい、と思います。 しかし、自分たちを批判するものにすべて「仏敵」のレッテルを張り、手段を選ばずその「撲滅」をはかるという組織は、現代の民主主義のもとでは、政治の世界でも、宗教の世界でも、存在の資格を疑われても仕方のないものです。この究極の独善主義には、未来はありません。とりわけ、このような集団が、政権に参加していることの是非は、宗教政党の政権参加が憲法上許されるかどうかという一般的な角度の問題ではなく、この異常で特殊な集団の政権参加の是非の問題として、社会的な批判と吟味にさらされる時期が必ずやってくるでしょう。
 最後に、“法悟空”の文章が、創価学会・公明党およびこれと連合するものの陣営に、新しい矛盾を激発する深刻なページを開いたことを指摘しておきたい、と思います。

忘るべからず


『戦う愛知の誉れ』
(聖教新聞「随筆 新・人間革命」より)

「昭和四十五年の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈(あっくめり)を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。
卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。
 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。
 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!
 信教の自由ではないか!
 社会の改革に奔走して、いったい、何が悪いのか!憲法に保障された、最も正しい人権闘争ではないか!
 勇気凛々たる中部の同志のスクラムは、敢然として、真っ向から、敵に火を吐く思いで戦い抜いた。
 何人かの臆病者は、逃げた。敵についた者もいる。

しかし、今の大野和郎副会長を中心に、すべての真の同志は、未曾有の弾圧の嵐を堪え忍んで、遂に赫々たる太陽の昇るが如き、勝利の中部の堅塁を護り、盤石にしていった」
IDファイルはありません。)
 創価学会・池田大作さんの散文詩です。共産党の不破哲三さんが紹介したものです(笑)。

 むろん私は共産党は嫌いである。しかし,現在,政府与党に入り込んだ公明党=創価学会を正面から叩くのは共産党ぐらいのものであり,「毒をもって毒を制す」立場はぜひ必要であろう。
 これは池田大作さんが昭和45年=一九七〇年の言論・出版問題について,自分の心情を歌ったものである。
 前に書いたように,昭和45年=一九七〇年の言論・出版問題とは,創価学会=公明党が,藤原弘達さんの「創価学会を斬る」の出版を,当時の自民党幹事長田中角栄(その秘書の早坂茂三さん,反省しているか?(笑))に頼んで妨害・阻止しようとした事件である。当時,創価学会の組織内では,池田大作および創価学会批判の言論の自由は圧殺されていた。創価学会=公明党はそれをのぼせ上がって,社会全体へ拡大しようとしたのである。藤原弘達さんの勇敢な対応によって,池田大作および創価学会批判の言論の自由の圧殺は社会問題となり,池田大作・創価学会は猛烈な批判を浴びた。
 不破哲三さんによれば,当時,毎日,朝日,読売などの社説は次のようであったという。「毎日」一月十八日「言論出版妨害事件について」。「朝日」二月三日「公明党は徹底的に体質を改めよ」。「読売」二月四日「公明党の抜本的体質改善を」。「毎日」二月五日「公明党の体質改善に望む」。「読売」二月二十六日「議員“脅迫”問題を究明せよ」。「朝日」三月十四日「出版妨害問題の究明を要求する」。「毎日」三月十六日「“言論・出版の自由”究明を」。「読売」三月十九日「出版妨害問題の真相究明を」。
 これだけキャンペーンをやられてはたまらないであろう。当初,公明党・創価学会は、「出版妨害はデマだ」と北朝鮮と同じ白切りを行ったようだが,明白な事実だから,白を切れなくなった。で,その過程で,公明党=創価学会が,自分たちの信仰である日蓮正宗を国の宗教とする国教化をめざしており、国会の議決により「国立戒壇」を建立することを目的としていることも明白になった。他の宗教および宗教結社をすべて「邪宗撲滅」の対象とする記事も当時の聖教新聞には少なくなかった。これらいっさいが猛烈な批判を浴びたのである。
 そこで,ついに七〇年五月三日、池田大作会長が創価学会本部総会で「猛省」講演を行うにいたったのである。まず池田さんは、「言論妨害というような陰険な意図はなかった」,しかし,「これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと、猛省したい」と述べたそうである。
 しかし,こんなもの猛省だろうか?。事実,言論妨害をした組織が,あるいはさせた人間が「言論妨害をしました。おわびします」と言うのならともかく,「言論妨害したつもりはないが,そう受け取られたのならごめん」と言うのが「猛省」だろうか?。言論・出版妨害は,思想上の傷害行為である。事実,客観的にケガをさせた人間が,相手がケガをさせられたと思うのならごめんなんて言いぐさがあるだろうか?。事実,言論妨害をしました,すみません,もう二度としませんと言って始めて,反省であり,謝罪なのである。これでは金正日の拉致の謝罪と反省のレベルにさえ達していない。
 池田さんの血肉には言論の自由という規範がない。言論の自由は池田の規範ではないが,これだけ批判を浴びるのだから,一応配慮はします,もう二度とばれるような言論・出版妨害はしませんと言っているだけなのである。言論の自由に一応配慮します,あまり公然とは妨害しませんと言うのだって,進化と言えば進化だが(笑),揺り戻しの危険は高い。現在も創価学会組織の中で,いっさいの池田批判,池田に対する正面からの批判はもちろん,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判も許容されていない以上,揺り戻さないとすれば,組織の外の力関係によっているだけである。公明党の支持率3%ではむちゃはできなというだけのことである。池田に対する批判の自由が確立されない限り,創価学会は本質的に金正日の朝鮮労働党と同じ体質の組織であると言わざるを得ない。創価学会組織の中で,池田大作批判の言論を全面的に圧殺している以上,池田大作は社会的にはまだ少数派の金正日にすぎない。
 で,「戦う愛知の誉れ」における怒号となる(笑)。池田は全く「猛省」などしていないことが暴露されている。

池田,いいか,人間には言論の自由が食糧と同じほど必要だ。いや言論の自由などという固い言い方では不充分であり,何でもくっちゃべられる自由とでも言った方がいいほどだ。池田,おまえ何や,美食に耽ってぶよぶよの顔しやがって,それでも宗教家か,アホなどという言論を自由に言えないような組織は屑である。
 この散文詩の中で,人間にとってめしや命と同じほど大切な自由を妨害したことを批判されたことに池田大作は逆上している。もうそこに池田大作および創価学会のダメさ加減が暴露されているのである。人間にとってめしや命並みに大切な言論の自由を妨害したことに対する反省と謝罪が全くない。
 それほど大切なものを妨害したら,くそみそに批判されるのは当たり前である。何が「悪逆」だ,何が「狂気じみた悪口」だ,バカが。お前のした言論・出版妨害こそが,傷害・殺人と同等以上の悪逆なのであり,狂気じみた悪行なのである。国会喚問されるのだって当たり前である。おのれに恥じるところがないのなら,堂々と出ろ。大体,情けないではないか。日蓮なら,絶好の説法の機会と見なして喜んで出るのではないか。言論の臆病者め。
 誰も批判しない,誰も正面からの批判はもちろん,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判もしない。みんながあんたの奴隷,乞食として振る舞うような場でしかしゃべれない奴が,何が池田先生だ,アホくさ。
 「『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。」と?。お前がまず言論の自由に対して狂暴な侵害をした。では,逆襲は当たり前であろう。それに,他人のくっちゃべりを妨害する信教の自由なんかあるわけがねーだろ?。他人の自由を妨害し,圧殺しようとする奴には自由など与えられないのである。「最も正しい人権闘争」だと?。他人の人権を理不尽に侵害した奴は,人権の資格を剥奪されるのが当たり前なのに,池田大作は自己正当化に突っ走っている。
 言論の自由は空中でかまいたちのように侵害されるのではない。池田大作や金正日のように,自分に対する正面からの批判,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判のすべてを許容できない不寛容な人間によって侵害されるのである。自己肥大が過ぎ,しかも実は自己のみみっちさを骨の髄まで知っていて自信がなく,他人からの批判のいっさいに寛容になれない男(女),これこそ自由と民主主義の不倶戴天の敵なのである。
 たしかに創価学会は現在,マスメディアの舞台上では随分と穏和なようである。しかし,組織という地下室では,池田大作批判の全面的,徹底的な圧殺が行われ,すべての成員が池田大作に対する奴隷・乞食として振る舞うことを要求されているというのが現実であろう。池田大作は猛省しなければならない。くっちゃべる自由を全成員に与えなければ,創価学会に未来はない。自由国家の中の,金正日の朝鮮労働党となるしかないのだ。
 くっちゃべるのが好きな創価学会の君,なんで池田大作の乞食や奴隷になってるわけ?
 で,老婆心ながら,不破哲三さん,共産党も大改革した方がいいと思うよ(笑)

今回の東北大震災とニセ本尊は全く関係ないとはいえない


http://www.myokan-ko.net/menu/te/2.htm

以下、勝手にコピペします。

●学会はニセ本尊造りの常習犯
お守り御本尊まで拡大して彫刻!
 現在、創価学会では自前のニセ本尊を発行していますが、その言い訳として、「日蓮正宗宗門から破門されて御本尊が戴(いただ)けなくなってしまったため、やむなく自前でニセ本尊を造(つく)らざるをえなくなったのだ。だから悪いのは宗門だ」等という、手前勝手な主張をしています。? しかし、学会のニセ本尊造りは今に始まったことではなく、今日の調査では、遅くとも昭和四十八年十二月の時点で、すでにニセ本尊(板本尊)が造られて、東京・信濃町の文化会館七階に安置されていたことが判明しています。? その後、昭和五十二年までに、次々とニセ本尊(板本尊)が造られ、各地の学会施設に安置されていきました。? 要するに、池田創価学会はニセ本尊造りの常習犯だったのです!? 学会では、これらの事実を隠蔽(いんぺい)すべく、「すべて日達上人の許可を得て、痛んできた紙幅(しふく)の常住(じょうじゅう)御本尊を、板御本尊として御謹刻したもの」などと言っていますが、当時、日達上人は ? 「こちらが許可していない分(の板本尊)は取り上げて、注意をしました」(『大日蓮』昭和五十四年七月号) と仰せられ、七体のニセ本尊(当時、判明しただけでも、七体の板本尊が勝手に模造されていた)を総本山で取り上げたのです。? その時は学会側が陳謝したため、宗門として大慈悲をもって見守ることとなりましたが、それから十五年を経(へ)た平成五年、学会はまたぞろニセ本尊造りに手を染(そ)めました。? かつて、ニセの板本尊を造ったことのある極悪人共ですから、紙幅のニセ本尊を造ることについて、あらためて何のためらいを感じることもなかったでしょう。? もはや、度(ど)し難(がた)い、大謗法団体であります。? さて、ここで、学会が造ったニセ板本尊のうち、無茶苦茶な一例を紹介しておきましょう。

写真は、池田大作がお守り御本尊を拡大コピーして造った、ニセ本尊
写真は、昭和五十一年十月、池田大作(当時・三代会長)が自ら出向いて、東北総合研修所内の牧口記念館に安置してきたニセ板本尊ですが、なんと、これは、昭和二十六年五月三日、六十四世日昇上人から池田大作個人が賜(たま)わった御守り御本尊(もちろん紙幅)を、勝手に写真に撮(と)って拡大し、板本尊に造り変えたものだったのです。
 そもそも御守り御本尊とは、日蓮大聖人が? 「先日のまぼ(守)り暫時(ざんじ)も身をはなさずたもち給(たま)へ」 (御書六八五頁) と仰せのように、我が身に携帯して御守護申し上げる御本尊であり、安置して皆に拝(おが)ませるべき御本尊ではありません。ましてや、拡大した上に、板本尊に変造するとは……。 ? 池田大作は、このニセ本尊を安置した理由について、? 「東北を厳然と守りたい。なかなか(自分が)おじゃまできないので、この研修所に御安置しておきたい。そういう意味で、小さい御本尊を東北創価学会の続くかぎり、この記念館にご安置申し上げて、皆さん方を守りたい、とお待ちしました」(昭和五十一年十月二十七日) と述べています。要するに、自分の身代わりにこのニセ本尊を安置して、厳然と東北を守る、というのですから、池田は、自分と御本尊とを対等と見なしていた、ということであります。 ? 学会員さん、これでも池田センセーに誤りはなかった、などというのですか。
私の主張

三月に起きた東北大震災に関しては、思うところを改めて書き込む。
NHKWorldは、震災の発生時から世界に向けて、詳細に報道してきた。そのお陰で世界の人々が被災した人々の苦悩に共感できた。その貢献に感謝しすぎることはない。本当にありがとうございました。
これから先、地球のどこで新たな震災が起きるかしれない。そのときこそ、その体験が何らかの形で役にたつに違いない。
ところで、私がちょっとおかしいと思っているのは、「被災者達は気の毒!」という声一色な点だ。さらには、危機に際して、日本人がとった落ち着きある行動と勇気を称賛する声が世界から、届けられた。
しかし、果たして、それだけだったろうか。日本人は何も反省するべきところはなかったのだろうか。せいぜい、石原東京都知事や北野だけしが、「天罰!」発言を小声でしただけだ。
私は必ずしも全面的に賛同はできないものの、「なるほど」と思わせる部分はあった。
10年前に起きた、米国同時多発テロのときも、「アメリカは被害者!」の怒号と泣き叫びに惑わされ、「本当は自業自得だ!」という事実を指摘する声はあまりなかった。アメリカ人が「懲りない人々」であるのは、もうどーしょうもないが、日本もそれに倣うべきではないだろう。
今回の震災に対して、「もっと被害が拡大していたかもしれない!」と「想定外!」というお題目を何度もきいた。つまり、日本人が得意とする、「自分たちは被害者!」という開き直りの声が喧しい。しかし、実際にそうだったのだろうか。
  今になって明らかにされつつあるのは、巨大地震と津波の発生をかなり正確に警告していた専門家が少なからずいたということだ。その上で、原子力発電所が事故を起こすことも相当正確に予想していた関係者もいたことがわかってきた。問題は、そうした声を封殺してきた歪んだ権力構造にあった。
ノーベル受賞者を何人もだし、科学技術の面では世界をリードする日本だが、政治構造に関しては、太平洋戦争以前からあまり進歩していないのではないか。
管政権を批判し、文句を言うのもいいし、自民党時代の政治を懐古、もしくは批判するのも易しい。
だが、もっと大切なのは、日本人の意識構造の改革ではないのか。
H.G Wellsは、「世界史概観」において、テクノクラートによる政治を主張したが、現代風にいえば、「イデオロギー的垣根を超えた人材登用法」とでもいえるだろう。知識や智慧をフル活用することしか、危機を乗り越えることはできない。
そういう「誰でもいいたいことを言え、それが理に適っていれば、すばやく効果的に反映される組織や社会」づくりこそが、今必要とされているのではないか。
まわりくどいようでも、性差別、年齢差別(若すぎることもないし、年をとり過ぎることもない)、教育差別、雇用差別、貧富差別、医療差別、などあらゆる差別要素をなくすという、世界水準に達する基本的人権を確立をすることこそが、人材を発掘する方法なのである。そうして初めて、人材を活用できる。
明治政府の体制と体質が結局、軍部の暴走を防ぐことができず、太平洋戦争の敗戦につながったのは確かだろう。
しかし、NHK制作の「MEIJI」が好意的反響を呼んだ背景には、特に幕末から明治維新にかけての未曾有の国難に際して、当時の日本人の採った方法への共感があった。その方法とは、一般国民から広く意見を求めたり、人材を広く募集したことだ。それに国民は応え、立場や身分を超えた国民が政治改革に参加しようとした。明治政府は広く「建白書(意見)」を国民に求め、多くの国民がそれに応じた。
当時から、日本人一般の教育水準は相当高かったのだろう。
自身は成果を見ることなく、憤死してしまった吉田松陰だが、彼の功績は「人材養成学校」をつくり、あらゆる垣根を超えた人材登用法の先鞭をつけたところにあった。
また、同じく教育改革に取り組んだ、福沢諭吉の「学問のすすめ」は、現代からは想像できない、凄まじいベストセラーになった。それは、単なるブームとかいう次元では、評価できない。以下、wikipediaより引用
『最終的には300万部以上売れたとされ、当時の日本の人口が3000万人程であったから実に10人に1人が読んだことになる。現在のような大規模な流通販路の確保や広告宣伝が難しかった時代においては驚異的ベストセラーであったと言える。』
その冒頭には、次の有名な語句がある。
「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。」
誤解してはならないのは、これで、福沢諭吉は理想主義的自由や基本的人権の確立を訴えたのではない。
むしろ、「人材よ集まれ!」であり、「日本人よ、大志を抱け!」という、機会を均等にした上での、自由な競争を促したのだ。無論、「結果の平等」を目指す、現代的福祉国家の理想とは、相容れない部分があるだろうが、「社会の活性化」のためには、なくてはならない考え方だ。
この「学問のすすめ」は、現代から想像できない規模のベストセラーになり、文字通り、当時の日本人が「貪る」ように買い求めたという事実がある。
すなわち、性別やあらゆる身分や貧富を超えた人材育成法がそこに説かれていて、それこそが当時の日本が必要としていた指南書だったからだ。「人材の活用」は、あらゆる組織が時代を超えて必要とされるものだが、危機に際して、限界を打ち破る切り札となる。今の日本にも、新たな「学問のすすめ」ブームがおこってもいい。



創価邪教会員 アホは <十界相貌> 何でも 拝める 創価脱会しましょうね。



池田先生へ 投稿者:原島嵩(元創価学会教学部長)

●正法の旗の下に (妙教 平成14年 10月号)
「会則・規則変更2」
昭和55年、私は内部告発に踏み切る少し前に、私の窓口となっていた中西治雄総務と、いろいろなことを話し合いました。
(略)また中西総務は、池田大作の欠点にもふれ、「あの人には教学がない」とも述べていました。さらに、「あの人(池田のこと)は諌めてもダメです。たちまち左遷されてしまいます」とも話してくれました。(略)さらに「戸田先生の最後の遺言は何だったのでしょうか」という問いにも、「それはみんな仲良くということでした」との答えが返ってきました。私は感動しました。
私たちは、池田より「戸田先生は、一歩も退くな、追撃の手をゆるめるなと遺言した」と聞かされていたので、戸田会長の最期の遺言がそのようなものだと思い込んできました。しかし、昭和47年8月頃、私は池田に「今にも死んでいく人がそんな怨念に満ちた遺言を残されたのでしょうか」と質問したところ、「あれは、オレがつくったんだよ」と答えていました。(略)池田が戸田会長を最後の最後まで利用したのだということがわかりました。
(略)これによって『若き日の日記』がウソ日記であることが明白となりました。私は、他の理由からも創価学会の歴史がウソでかためられた歴史であることに気づきました。さらにそのウソがみな池田から発していることもわかりました。
池田はウソをつくことが平気な男であり、宗門に対する約束も悉く反故にしてきました。(略)
それなのに、なぜ、新執行部を突き上げ、「永遠の師」という誓紙を副会長全員に署名させて提出させたのでしょうか。また5月26日の本部幹部会では、登壇者の原稿をすべて池田自身がチェックし、池田を賛嘆する内容を全員の原稿に口述筆記で入れさせ、また『大白蓮華』(6月号)は池田礼賛オンパレードの内容にしています。私はこれらを通して池田の傲慢とウソと復讐の念と卑劣さをいやというほど知りました。(略)
今回の「会則」変更で、「池田大作第三代会長を永遠の指導者と定める」と決まったことにより、池田の本仏化、絶対化はさらに進み、必ず社会的問題に発展することでしょう。(略)
日蓮正宗から離反した以上、教義も、創価学会独自のものを立てなければなりません。(略)私は、教義に無知な池田の思いつきであると思っています。(略)ただ模倣とスリかえの天才である池田名誉会長は、恐らくこれからも「日蓮正宗の教義」を拝借する以外にありません。大石寺の法門は、甚だ深遠で、信をもって拝さなければ解らないのです。
これまで、池田の教義解釈はメチャクチャでした。よほど優れたブレーンがいないと、とんでもない方向へと外れてしまいます。とにかく池田は「仏法は勝負なり」の一文だけしか頭に入っていないような教学を展開します。(略)何のことはない、それは湊邦三氏の小説の受け売りだったのです。前に、池田が公明党議員に対して、「御義口伝」の講義をしたことを書きましたが、「勝ったものが仏なんだ」と語るにいたっては、開いた口がふさがりませんでした。このような、池田の教学の知ったかぶりは日常茶飯事でした。(略)
池田は名聞名利のために、会員から金を巻き上げ、勲章や思わざるをえません。自らの名誉欲のために会員の家庭が崩壊し、夜逃げや自殺者まで出ていることに、池田はなんの痛みも感じていないのです。だからこそ、自分を宣揚するために、お金を湯水のように使い、優雅な生活を送ることができるのです。しかしそのようなことが許されてよいものでしょうか。何百とある池田の専用施設の豪華さは、まるで天皇以上です。そんな仏法者がいるでしょうか。
私の辞書に「反省」はない!

http://shiohama.web.fc2.com/zuihitu-223.html

随筆 新・人間革命 223 法悟空
「戦う愛知の誉れ」





 中部は断固として勝った。
 愛知は悠然として勝利をした。
 長い長い間、卑劣な権力者たちに恫喝され、あらゆる陰謀のなか、策略に陥れられながら、厳然と正義のために戦い抜いて、中部は勝った。断じて勝った。
 御聖訓には、「過去および現在の末法の法華経の行者を軽蔑したり、賤しめる国主や臣下、また万民は、たとえ始めは何事もないようであっても、最後に滅びないものはない」(御書一一九〇㌻、通解)と仰せである。
 その通りの倣慢極まりない権力者たちは、この御書に寸分違わぬ末路となった。
 それは、蓮祖の仏法の厳しくも明確なる指標が、全部、正しいという証明だ。
     ◇
 ゲーテは、社会の混乱の要因は、権力者の邪悪にあると喝破し、そして言った。
 「どんな不正に対しても、私はもう黙ってはおられません」(山下肇訳)
 わが中部の正義の友もまた、断じて沈黙しなかった。雄々しき師子となりて、叫び、吼えた。
 「正しい時に遭い穏かにしているのは美しいが、正しからざる時に遭い安閑としているのは醜いものだ。臆病であるからだ」 (渡辺格司訳)とは、ドイツの大詩人ヘルダーリンの言葉である。
 つまり、愛知の同志は、臆病ではなかったのだ。勇敢であったのだ。
 ゆえに、勝ったのだ。
     ◇
 それは、一九七六年(昭和五十一年)、ちょうど二十五年前の七月二十七日(火曜日)のことであった。
 名古屋文化会館の大広間で、中部の記念幹部会が行われた。
 愛知と三重と岐阜の団結を象徴する「中部旗」が授与され、「中部の日」の淵源となった歴史的な会合である。
 私の決意は深かった。
 〝今日の出会いを、中部の苦しき宿命を転換する原点にしたい″
 そして、ここ中部で、ここ愛知で、「熱原の三烈士」の歌を発表したい、と念願していたのである。
 それは、なぜか。
 「三烈士」の詩は、この五年前、〝言論問題″を発端とする学会攻撃のなかで発表した、五十五連の長編詩であった。
 私は、中部をはじめ、大切な同志への思いを、七百年前に殉教した「熱原の三烈士」に託して、広宣流布に戦闘する誉れを詠った。
 その長編詩から六連を選んで、当時、創価学園の教員の杉野泰彦さんに曲をつけていただいたのである。

  富士の裾野の朝ぽらけ
  若葉の露は彩なして……
  その名 熱原神四郎
  弟弥五郎 弥六郎
  求道めし日々は浅けれど
  清き血潮の布教進む
  栄えの生命の法讃歌

 この歌を、悪戦苦闘しながら遂に勝ち抜いてきた中部で、真っ先に発表したい。これが、私の真情であった。
 中部男子部の「堅塁合唱団」、女子部の「ゴンドラ合唱団」、そして婦人部の「名古屋虹コーラス」の代表による熱唱が、名古屋文化会館のロビーに響き渡った。

 誉れの優勢 口惜しさに
 膏油煮え立ち喘ぎ立ち
 障魔の権力は卑劣にも
 和合の綱に手を伸ばし
 撹き乱さんと仇心……

 生死流転の神四郎
 桜の花に吹く風に
 あれよ広布の鑑よと
 その名かんばし熱原の
 烈士の命 誉れあり

 その歌声は、わが心の琴線をかき鳴らした。
 私は、歌を聴きながら、中部、そして愛知の広宣流布の誉れ高き友の、あの顔、この顔を思い浮かべた。
     ◇
 昭和四十五年の〝言論問題″の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 「信教の自由」を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。
 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。
 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!
 信教の自由ではないか!
 社会の改革に奔走して、いったい、何が悪いのか!
 憲法に保障された、最も正しい人権闘争ではないか!
 勇気凛々たる中部の同志のスクラムは、敢然として、真っ向から、敵に火を吐く思いで戦い抜いた。
 何人かの臆病者は、逃げた。敵についた者もいる。
 しかし、今の大野和郎副会長を中心に、すべての真の同志は、未曾有の弾圧の嵐を堪え忍んで、遂に赫々たる太陽の昇るが如き、勝利の中部の堅塁を護り、盤石にしていった。一部の評論家や著名人、そしてまた何人かの代議士たちは、これだけの大攻撃を受けた愛知の学会は、必ず崩壊するであろうと囁いていた。
 しかし、中部の創価学会の勇敢なる信心は、凄まじき苦境を乗り越え、すべてに大勝利したのだ。それは、永遠に燦と輝きわたる歴史として残るにちがいない。
 愛知の広布の友は、大聖人の御聖前通りに戦い抜いたのだ。
 開目抄には「末法の法華経の行者に対しては、山に山を重ね、波に波をたたむように、難に難を加え、非道に非道を増すであろう」(同二〇二㌻、趣意)とある。
 その仰せのままに、弾圧を受け、大難を受け、名誉ある法難を永遠の功徳に変えゆく実践をされたのである。

 中部は、よく耐えた。
 中部は、よく勝った。
 日本中の同志が、今でも誉め讃えている。
     ◇
 中部の愛唱歌である「この道の歌」(山本伸一作詞)が発表されたのも、「熟原の三烈士」の歌の発表から二年後(一九七八年)の同じ七月二十七日であった。
 「この道」とは、信念の道であり、そしてまた正義の道、幸福の道、同志と歩む勝利の道である。
 それは、我ら「創価の烈士」が進みゆく大道なのだ。
 当初の発表では、歌詞の結びは、「ああ中部中部 諸天舞う」となっていた。
 だが、皆の合唱を聴きながら、最後の歌詞がちょっと違うな、と思った。
 諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまうからだ。
 大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきであると思った。
 そこで、後になって申し訳なかったが、「諸天舞え」と直したのである。
 仏法の勝負は厳しい。
 中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
 民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
 ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
 必死の一人は、万軍に勝るのだ!
 蓮祖は仰せである。「頭をふればかみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、(中略)教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同一一八七㌻)
 これは、中部の友と一緒に拝した、思い出深い御文でもある。
 強い祈りが、教主釈尊を動かし、諸天善神を存分に働かせていくのである。
 猛然と祈り動けば、必ず、多くの人びとが諸天善神となって味方と変わる。
 これが、大仏法の原則だ。
     ◇
 青年部の勇敢なる「若党」の雄叫びと正義の戦いは、大中部を更に盤石なものとしていくにちがいない。
 大中部の友よ!
 堅固なスクラムで、中部と一体で進みゆく北陸の友よ!
 敬愛する愛知の友よ!
 新しき、また新しき正義の戦いに勝利し、壮大なる広宣流布の大城を、護り築いていただきたい。
 偉大なる愛知よ!
 新世紀の「創価の烈士」よ!
 遂に来た決戦の時、未来永劫に、その名を輝かせゆくのだ。
 そして、二十一世紀の緒戦を、勝利の創価の城で飾っていただきたい。

<2001/7/10 掲載>


宮本顕治委員長(当時)宅電話盗聴事件の判決は?

 〈問い〉 創価学会による宮本顕治委員長(当時)宅電話盗聴事件で、組織的犯行であったという判決があったと思いますが、知人に「判決文には具体的記述がない」と反論されました。どうなのでしょう? (東京・学生)?
 〈答え〉 創価学会による宮本委員長宅電話盗聴事件の東京地裁判決(85年4月22日)、東京高裁判決(88年4月26日)は、この電話盗聴が創価学会の組織的犯行であることを、たいへん具体的に詳細にのべています。
 東京地裁判決は「北條(浩・創価学会会長)の本件電話盗聴への関与について」の項で、盗聴実行犯の一人である山崎正友弁護士が独断で本件電話盗聴を企図・実行する状況になかったことを認定し、盗聴資金が山崎が個人的に支出できるものでなかったこと、北條側のみとめている事件発覚直後の山崎から北條への報告とその後の経過、本件盗聴後の山崎弁護士の創価学会内での出世の事実などを具体的に認定し、次のように北條浩の関与を認めています。「以上にみてきたところを総合判断すれば、被告山崎が独自に本件電話盗聴を計画、実行したとするよりは北條の承認と資金提供のもとに実行したと考えるのがより自然であり、北條は、本件電話盗聴に関与していたものと認めるのが相当である」
 東京高裁判決は、一審判決よりもきびしく、「北條が本件電話盗聴に関与したとの山崎供述の信用性は妨げられず、他に、以上の認定判断を覆すに足りる証拠はない」と指弾しています。このように、本件電話盗聴事件は創価学会の組織的犯罪であることを、第一審、第二審ともきちんと認定しています。
 以上の判決は、日本共産党出版局発行の『裁判記録 創価学会の電話盗聴』に全文が掲載されています。
 なお、この裁判で北條側が最高裁上告を途中で取り下げ、判決に従う態度をとり、北條氏の妻とその子ども(北條氏が途中で死亡したため訴訟を継承)らは、宮本氏に対し裁判所から命じられた損害賠償金を利息をつけて全額支払いました。(柳)
 〔2004・3・11(木)〕
池田問題対策 投稿者:平気でウソをつける善人

私の人間学 上
『●幸せはわが心の中に
○人間の本当の幸せとは、富や権勢など、外面的な条件によって得られるものではない。
私も、これまで、数々の指導者や識者とも会ってきたし、多くの無名の庶民の方々とも語り合ってきた。たしかに、社会的な立場などが、そのまま幸せを意味するとはかぎらない。多くの財と名声を得ながらも、家庭の不和に悩み、安らぎもいたわりもなく、悶々とした日々を送っている人もいる。心から信じ合える友もなく、立場の維持に汲々となり、猜疑と孤独にさいなまれている人もいる。また、決して生活も豊かとはいえず、名も地位もない平凡な庶民であっても、家庭も円満で、希望に満ちた、充実した人生を楽しんでいる人も少なくない。むしろ、そのほうが、遥かに多いともいえる。』
→これは実に池田らしい文章だ。
人間革命を初めとして、池田が書いたとされる文章にどこからどこまで本人の筆であるのか定めることはできない。つまり、どこに池田の本心があるのかわからない。
しかし、「池田大作」の名前を冠した、あらゆる文章や詩や歌の類いには、全て「池田らしい胡散臭さ」が一貫している。
「庶民の王者」を自称する池田は、自身はそれに属していない。「人間の本当の幸せ」を論じながら実のところ「金と名誉」に汲々としている、俗物の典型である自分の姿をなんとも思っていない。人々の生殺与奪の権力を握る組織のトップに50年以上も君臨し、200を超える勲章の数を自慢し、「トップの自分を人々は嫉妬している」と嘯く池田の実人生をみれば明らかだ。
そもそも、池田のいう、「庶民」とはいかなる人々だろうか。金や名誉もないだけではなく、知性や教養がない人々を指すのだろうか。もしそうなら、それは庶民を賛嘆しているといいうより、その実、彼らを見下していることにはならないだろうか。池田の得意とする催尊入卑といえる。
月刊ペン事件の証言台に立った池田は、あまりにあわてて万札がぎっしり詰まった財布を証言台に忘れてきた。クレジットカードがまだ一般的でなかった頃の事件とはいえ、恰も成金趣味を思わせて滑稽だ。何か買い物をする予定だったとも思えない。
お金の入った財布を忘れることは大した出来事でないかもしれない。しかし、平成元年に起きた一億七千万円が入った金庫を間違って捨ててしまう、というのは尋常ではない。学会の金庫番といわれた中西総務が名乗り出てて一件落着したのだが、学会員も含めて、誰一人、それが中西氏の個人的財産だと思っていない。池田の裏金であるのは間違いない。池田が戸田先生から学んだのは、仏法ではなく、金勘定の方法だ。それが悪いとはいわないが、俗物的とはいえる。
そういう行動形態にこそ、池田の真実の人間像が浮かびあがる。古今東西決して珍しくない、言動がちぐはぐな、典型的「宗教指導者の実像」だ。
そもそも、日蓮大聖人さえ超える、自分だけ「永遠の師」=実質的な御本仏の地位に収まり、「心から信じ合える」(対等に話し合える立場)友などいたことがない池田は幸福な人生を歩んだのだろうか。
せいぜい、香峯子夫人が友に近い立場なのだろうが、夫を永遠の師と仰がなければならないとしたら、夫婦関係は終わっているだろう。香峯子夫人は新婚当初から、勤行をしない夫について悩んでいたそうだが、もう馴れきってしまったのだろうか。友として、一言、注意してあげてもよかったのではないか。
この池田の文章によれば、猜疑心に満ちた人生を生きてきた「権力者」池田は最も不幸せな部類に属していたということになりそうだ。

追伸
池田と一才違い(上か下か?)の中西氏は創価学会の表舞台から消えただけでなく、長らく行方不明と言われていた。
それがどういうわけか、昨年、正式に創価学会から脱会したそうだ。
その意図は測りかねるが、いわゆる、「反逆者」に名を連ねるためではなかろう。無論、創価学会員からの呪いを恐れてのことでもないだろう(苦笑)
自分なりの、「自分の人生へのけじめ」をつけたかったのではないか。むろん、法華講に再入講したとも思えない。
「自分が愛した創価学会はもう存在していない」というメッセージを残したかったのではないだろうか。

創価学会がカルトである理由 その9 学会員が反社会的行動をとる原因

1、創価学会のみが唯一の正統な仏法であるという独善性
2、仏法(=創価学会)は、国法(法律)や世法(常識・道徳)に優越するという社会規範の軽視
3、折伏という強引な布教により教勢拡大を図る戦闘性

4、即物的な現世利益に極端に偏った、精神性が欠如した信仰
5、選挙運動という政治活動と、宗教活動とを一体化させる政教一致
6、公権力の私物化により、創価学会員への利益誘導を図る公共意識の欠如

7、最高指導者(池田名誉会長)が、ルサンチマン(特に報復感情)に動機づけられていること
8、その池田名誉会長への絶対服従を求める個人崇拝
9、直面する問題を、密室での談合や、相手方への嫌がらせなどの不当な手段で解決しようとする謀略体質

10、会員に対して、社会常識から逸脱した過大な金銭的貢献を求める金権体質
11、上記(1〜10)について疑いをもたないように、会員をマインドコントロールしていること
12、過重な学会活動や金銭負担が、末端学会員の家庭崩壊を招き、会員子弟の非行を誘発すること

13、上記すべてに起因する、他者への思いやりや人権意識、遵法精神の欠如
ID:v8JNdiuj(1/3)

過去スレ

スレ1
http://potato.2ch.ne...i/koumei/1449988474/

スレ2
http://potato.2ch.ne...i/koumei/1466646766/

スレ3
http://egg.2ch.net/t...i/koumei/1482197719/
ID:v8JNdiuj(2/3)
http://konmanki.blogspot.jp/

昨日、テンプレをコピペしようとしたところ「埋め立てですか」と表示されて、
書き込めませんでした。

新しい規制について知らなかったために、ミスしてしまいましたが。
先の話になりますが、次のスレを立てる際は気をつけたいと思います


妙法蓮華経 安楽行品には、以下の記述があります。

> 云何名菩薩摩訶薩親近処。
 (云何なるを、菩薩・摩訶薩の親近処と名づくるや。)

> 菩薩摩訶薩。不親近国王王子。大臣官長。
 (菩薩・摩訶薩は、国王・王子・大臣・官長に親近せざれ。)

創価学会は「地涌の菩薩」を僭称していますが、権力には近づくなというのが、
法華経の教えです。
公明党の存在は、創価学会が謗法団体であることを証明するものと言えます。

また、フランスの反セクト法では「行政当局への浸透の企て」を
セクトとみなされるべき基準の一つとしています。
https://ja.wikipedia...AF%E3%83%88%E6%B3%95

創価学会がカルトであることは明白です。

創価のような悪質な団体が栄えていいはずがない
今は権力に取り入って隠ぺい工作してるけど
いつか必ず悪事が暴かれる日がくるはず
ID:T3Ir4ajv

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