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創価学会邪教セクトマフィアの 実験、犯罪、人権弾圧的 ファシズムの実体と秋谷栄之助、石田次男、原田、谷川の邪義邪法を日蓮仏教から壊滅しなければならない。 池田氏の平和主義、人間革命、反戦、反核戦争は 米軍、CIA, 自民党に破壊されてしまった。 #創価学会 #ストーカー#テクノロジー犯罪 # 朝木議員暗殺疑惑事件、# 伊丹十三監督暗殺疑惑事件 # 三井麻生変死疑惑 # 創価学会犯罪、 # 全体主義 #ナチス、#ファシズム # 都議会選挙 # 参議院選挙 # 買収選挙 # 住民票移動事件 # 替え玉投票 #創価学会対策連絡会 # 秋谷栄之助、 #原田稔 #谷川副会長、 #佐藤副会長# 八尋頼雄弁護士# 宮川日護 #ハタチ教学 #羽田地克利 #浅見茂 #石田次男 #牧口常三郎、 #戸田城聖 # 池田大作 # 大石寺 # 保田妙本寺

2020年04月

創価学会幹部が、学会は集団ストーカーしていると暴露
創価学会幹部と公明党議員 数十人が、記者会見を開いたり本を出し、国の信用に関わる問題を暴露した。
それは、創価学会が高度な盗聴設備を学会本部に導入して、敵対勢力、脱会者、学会員の商売の邪魔になる政治家、企業役員、一般市民を、違法に盗聴、尾行、メール傍受したり、悪い噂を流すなどして、生活基板を破壊していたというもの。
相手が政治家の場合には、殺害も検討されたという。

亀井静香代議士、朝木明代東村山市議員、有名画家、右翼団体会長
朝木議員と団体会長が謀殺疑惑事件の被害者でしょうね?


創価学会=公明党の正体がストーカー集団であり、敵対的政治家の暗殺を計画する宗教団体はまともといえますか。
ストーカー殺人を常套手段とする政党が日本の政治に大きな影響を与えているこの事実をどう思いますか。


公明党委員長 矢野絢也(著)
黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録

『今、距離を置いて振り返ってみると、恥ずかしながら、当時の私はマインドコントロールにかかっており、創価学会によって操られていたと思わずにいられない。組織主義邪教創価本部信濃町の野望ー学会の「日本占領計画」を成就させるため、その計画のど真ん中で働いていたのではないか、との思いが日増しに強くなっているのだ。
(中略)
創価学会、公明党による理不尽な人権蹂躙で、とりわけ強調したいことは、これらの事柄が、個人の偶発的、単発的なことではなく、学会本部によりあらかじめ十分に計画された点だ。各部門と連動しながら、スケジュールを組んでの連続的な組織的犯罪だったのである。また、攻撃範囲は本人のみならず、家族・親族に及ぶものであり、精神的威嚇、社会的地位の抹殺、または生活の基盤を奪い取ろうとする、包括的なものであった。
(中略)
私はかつて、学会内のハイテクを担当する部屋を案内されたことがあった。コンピューターなどのハイテク機器にはあまり詳しくない私でも、ずらっと並んでいるのが最新設備だとわかった。これが一〇年以上も前の話だ。今は、学会のハイテク技術は、当時よりはるかに進歩しているはずである。
 創価学会がハイテク強化に注力しているのは、ひとつには敵対者や敵対組織の情報収集の大きな武器となるからだ。これまでも、学会は盗聴事件など数多くの非合法活動を行い、世間から非難を浴びた。古い事件では、一九七〇(昭和四五)年、学会がしかけた宮本顕治(当時は共産党委員長)邸など共産党関係者への盗聴がある。
(中略)
元学会員の陳述書によると、「特殊部隊」の役割は「広宣部」が担っているという。監視、尾行、嫌がらせ、ゆえなき誹謗中傷などの違法行為は学会のお家芸ともいえるほど、常套手段化している。』


創価学会 教学部長 原島嵩(著)
「誰も書かなかった 創価学会の真実」

『創価学会批判者に対する盗聴、スパイ、見張り、尾行は執拗に行われました。裁判等で明るみに出た謀略行為は、次のごとくです。
(中略)
秋谷栄之助、原田は込んで、謀略ができる人間を登用してきました。
彼らは、謀略そのものに少しの罪の意識はありません。むしろ、そこには創価組織に直結し、選ばれた人材として、英雄を気どり、エリート意識が発達しているだけです。
月刊ペン裏工作、電話盗聴や謀略、他教団や学会批判勢力の分断工作、世論操作、買収に多額な金が使われたことも、各種批判で明らかになっています。それとて氷山の一角でしょう。』


創価学会 芸術部書記長 小多仁伯(著)
「池田大作の品格」

『広宣部は、全国に普及し組織化されていったのです。
広宣部の主な活動は、
1.構成員宅の郵便物などの抜き取り
2. 構成員の盗聴
3.交友関係の調査
4.構成員への尾行
5.怪文書による攻撃
6.構成員の出したゴミなどを持ち帰り、その中から情報を収集
以上のような活動を行っていました。
当初は、組織防衛のための広宣部を結成したことが、いまでは積極的に反対者への恫喝、圧力を加える組織へと移行しているようです。』


創価学会顧問弁護士 山崎正友(著)
「月刊ペン事件 埋もれていた真実」

『 広野輝夫は盗聴器等の機械の製造と使用管理部門の中心者であり、河上覃雄(のちに公明党代議士)、岩佐俊典らは、山崎正友が手なずけた造反グループや、敵対勢力に送り込んだ情報員の管理と、“見張り”“尾行” やそのためのアジトの運営等を手がけている。

 このメンバーが集まれば、山崎正友配下の「SCIA」と呼ばれる情報師団のすべてが動かせる。その資金は、北条浩がいろいろな方法でひねり出した資金を山崎正友経由で各部門に配布する

Z会は、その存在を知る幹部は本部内でも十名に満たず、厳重な、秘密のヴェールにつつまれている。それは敵対勢力や造反者対策、情報や謀略、マスコミ戦略を行う、文字どおり最高秘密会で、極めて戦闘的なことがらを司る機関であり、宗教団体にはおよそ似つかわしくない、生臭いものであった。主宰者の、海軍将校の経歴をもつ北条浩が、海戦の合図である“Z旗”にちなんでZ会と名づけた。

 ちなみに秘密会に暗号のような名前をつけたのは創価流で、たとえば検事グループに“自然友の会”、外交官グループに“大鳳会”と名づけてカモフラージュをはかっているのである。

“SCIA” と呼ばれる創価学会の秘密情報機関は、彼の支配下にある。そのなかで、マスコミ界に、フリージャナリストとして送り込んである山下正信と、宗教の業界誌「宗教放送」の編集室に大山正というペンネームで送り込んである北林芳典に、とりあえず「月刊ペン」社と隈部の調査を命じた。』


幹部の著書は、こちらで全文読めます。
http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04.html

亀井静香議員が創価学会のストーカーを国会で追及した
https://www.youtube.com/embed/BFWh_jctYgs

公明党委員長 矢野絢也氏の組織的ストーカー被害1(会見ビデオ)
https://www.youtube.com/watch?v=5UQ55hpH1c

公明党委員長 矢野絢也氏の組織的ストーカー被害2(会見ビデオ)
https://www.youtube.com/watch?v=NhbLrO2h-G4

裁判所は創価学会の組織犯罪を断罪し、国会では創価公明は厳しく追及されました。
https://matome.naver.jp/odai/2153412187173818501

これだけ、多数の宗教法人は聞いたことがない。

宗教法人法違反、憲法違反 警察は内密に公安が動いているでしょうね‼️


 私は、顕正居士さんが別のスレッドで書いて下さった『理想版・創価学会会
則前文』の精神に大賛成です。

  スレッド「仏教とはなにか」、No.56(顕正居士さん)
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=9&no=56

 よって、創価学会が、《仏教(縁起・無我・空・中道)》と矛盾するような
「一元流出論」の立場(宇宙生命論)を根幹とすることには反対です。

  スレッド「仏教とはなにか」、No.60(顕正居士さん)
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=9&no=60

  同上、No.64(Libra)
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=9&no=64


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.72 )
日時: 2002/11/12 16:19
名前: 顕正居士


顕教と密教

除災招福の呪文(パリッタ)ははやくから釈尊教に採用された。大乗教の場合
も、法華経のように呪文を重視する。雑密の起源は古く、純密は仏教中の呪文
信仰を純化したのであるから、仏教と密教とを分離できない。しかし。仏教中
の顕教と密教とを分離することはできよう。要するに、顕教とは哲学であり、
密教とは宗教である。後期インド仏教は哲学としては瑜伽中観で、宗教として
は密教である。哲学と宗教との分離が行なわれていた。日蓮の密教批判の内容
は、入我我入による即身成仏が成り立つためには、一念三千の哲学が必要なの
で、それは密教の中にはないというに尽きる。日蓮が建立した宗教は密教だが
教理は顕教だというのである。日蓮の着想は、後期インド仏教、チベット仏教
のあり方に合致する。日蓮が、折伏を行なう賢王に擬した元の世祖のその帝師
とは第5世サキャ派座主、パクパ大師であったのである。

仏教と密教 ( No.73 )
日時: 2002/11/12 16:59
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>72 顕正居士さん

 私が《密教は仏教ではない》ということの意味についてはすでに書きました
ので(>>70)、この件につきましては、あとは読者の方々に判断をお任せした
いと思います。顕正居士さんも「密教は有我」といわれていますが、これはお
そらく、思想的な立場の中身(内実)を問題にしていわれているのだろうと思
います。

  顕正居士さん発言集
  http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/8451/taiwa/kensyou.html

> 除災招福の呪文(パリッタ)ははやくから釈尊教に採用された。

 蛇足になるかもしれませんが、補足資料として以下をあげておきます。

  釈尊は祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘を退けた(三枝充悳)
  http://fallibilism.web.fc2.com/028.html

  比丘たちは呪術禁止のいましめを守りとおせなかった(松長有慶)
  http://fallibilism.web.fc2.com/038.html


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.74 )
日時: 2002/11/12 18:38
名前: 顕正居士


邪教

何を祈ろうとも、如何に真剣であろうとも、わたしたちの意識の活動が物質に
影響を及ぼすことはない。このことが十分に理解できなければ、以信得入する
べきである。わたしたちの意識とはハードウェアである脳のその上に成り立つ
ソフトウェアである。しかしわたしたちが身体で物質に働きかけ、あるいは
言葉で他者に働きかければ、それは物質にも他者にも影響を及ぼすのである。

この世界は、苦であり、空であり、無常であり、無我である。しかし常楽我浄
はわれわれの理想である。それを浄土といい、文明といい、それが建設の活動
を菩薩道という。根源の一法があり、体現する師あり、疑わず従えば、自然に
幸福にいたる、というのは邪教である。邪教の生ずるゆえんは、意識と物質の
混乱による。意識と物質とは明晰に区別されなければならない。トンデモ宗教
は人類の敵、文明の敵である。

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.75 )
日時: 2002/11/12 23:54
名前: Leo
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>邪教
>何を祈ろうとも、如何に真剣であろうとも、わたしたちの意識の活動が物質に
>影響を及ぼすことはない。このことが十分に理解できなければ、以信得入する
>べきである。わたしたちの意識とはハードウェアである脳のその上に成り立つ
>ソフトウェアである。しかしわたしたちが身体で物質に働きかけ、あるいは
>言葉で他者に働きかければ、それは物質にも他者にも影響を及ぼすのである。

残念ながら学会にも「邪教」「トンデモ宗教」の面があります。
「宇宙生命論の悪弊」
http://fallibilism.web.fc2.com/note008.html
・例えて言うなら今主人の給料が30万円からどうか70万円にして下さい。自分の月々の
 小使いが10万円ぐらいは軽く使えるような境涯になれますようにと…叶えてくださいで
 わなく「必ずそうなるのだ」と心に強くおもってください。
・ところが日顕打倒を祈りだした次の検査の時に医師が
 「大変な事になりました。娘さんの腎臓は治っています。
 全くの正常です」と言われたとの事です。
・「ヤマトモ・日顕許さんぞ!!!!」「ヤマトモ・日顕に正義の鉄槌を・・・」っとそしたら、
 ある日を境に癌細胞が小さくなって三ヶ月したら完全に消滅したんだって

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.76 )
日時: 2002/11/12 23:58
名前: Leo
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>邪教の生ずるゆえんは、意識と物質の混乱による。意識と物質とは明晰に区別されなければならない。
>トンデモ宗教は人類の敵、文明の敵である。

真剣に受け止めたいと思います。
まず「魁よりはじめよ」ということだと思います。
Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.77 )
日時: 2002/11/13 14:52
名前: 顕正居士


>残念ながら学会にも「邪教」「トンデモ宗教」の面があります。

呪詛によって功徳が生じる、というほどの邪教はなかなかにありませんね。

創価学会に対するイメージが四半世紀にたいそう悪化したのは、半分は公明党
でしょうが、半分は日蓮正宗とのカルト合戦が理由です。共倒れてくれるなら
好都合であると、多数の方は思うでしょう。しかし、創価学会の会員は今日、
2世、3世が中心であって、1世のように単純に「フェードアウト」することが
できません。理由は。
1-創価学会という環境において、人生に処する態度を学んだ。心の整理には
時間がかかる。
2-パラサイト化。中高年にサラリーを支払うのを優先する社会であるから、
青年少女は家庭から独立が困難であり、創価学会問題は家庭問題でもある。
3-創価学園などの出身者の場合、家庭問題を解決しても、「フェードアウト」
が完全にできない。
4-創価学会専従者の場合、もともとつぶしが利かない上に、イメージの悪化で
娑婆への転職が困難である。

どうしたらよいのか?

"Reform the Nichiren Buddhist Debate"
http://www.millerthought.com/stoptheslander/

のように、わたしたちは違うのだ、というアピールを社会におこなうしか方法
はないとおもう。




>>66 顕正居士さん

 解説ありがとうございました。

> 1-近代大衆思想の「宇宙即我」

 以下の資料も参考になるかもしれませんね。

  新宗教における生命主義的救済観(対馬路人 他)
  http://fallibilism.web.fc2.com/041.html

> 3-日本仏教の「万象即実在」
> 「一色一香無非中道」をキーワードに日本で発達した思想である。猿のなく
> 音も、谷川の流れる音も、みな妙法を説く、現象の奥や中心の実在を考えな
> い。

 《真実には中道というありかたで現象している》ということと、《妙法を説
く》ということは全く異なると私は思います。私は《真理に口はない》と考え
ます(>>60)。核爆弾も「妙法を説く」ということになると、それこそ、「な
んでもかまわない」ということになってしまうと思います。

密教・梵我一如・宇宙生命論 ( No.68 )
日時: 2002/11/09 10:49
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


 《密教》と《梵我一如》は関係があると私は思っていますが、創価学会の
《宇宙生命論》も《密教》の考えとほとんど同じだと理解しています。

  宇宙生命それじたいを本体とする法身大日如来(宮坂宥勝)
  http://fallibilism.web.fc2.com/035.html

  密教の即身成仏は作り話(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/061.html

  大宇宙即御本尊(戸田城聖・池田大作)
  http://fallibilism.web.fc2.com/064.html

  勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
  http://fallibilism.web.fc2.com/063.html

 私は《密教は仏教ではない》と思っています。ゆえに、《宇宙生命論は仏教
ではない》と考えています。

  仏教の消滅(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/060.html

  タントラ仏教はブラフマニズム的宗教(吉水千鶴子)
  http://fallibilism.web.fc2.com/022.html

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.69 )
日時: 2002/11/11 23:50
名前: SGI居士


 横レス失礼いたします。
 3日間CPを離れていると、議論が進行しており、すっかり浦島太郎状態。しかも深度ある内容に、おいそれと参加することもできないような感じで、とまどいを覚えてしまいます。
 ご紹介があった「宗教と科学について」は、私にとって示唆の富むものでした。ありがとうございます。松戸氏の論述に違和感を抱いてたことの一端がまとめられおり、共感するところが多々ありました。
 梵我一如、汎神論も流出論も否定されるとのこと。ふむ、そうだったかな、そうだったような気もするし、そこまで言及していなかったような気もするし…と若き日の記憶をたどってみましたが、よくわかりません。きちんと学習し知識を整理しなくてはならないと思う次第です。
 さて、
 1)密教は仏教でないとの見解。それも一理あると捉えますが、原仏教がインドでヒンドゥー教に取り込まれる(取り込んでいく)過程で密教を成立させ、中国・日本へと伝播してきたとの認識に立てば、密教も仏教のカテゴリーではないかとの疑問が残ります。いかがでしょうか。
 2)「宇宙即我」が近代大衆思想として、今日それなりの拡大と支持を得ているのが現実でもあると思います。だとすれば、それが太陽信仰やアニミズムに基づくものであり、本来仏教その他の宗教と一線を画くものであっても、この大衆思想が仏教その他の宗教―いわゆる高等宗教を飲み込む可能性は、いかがでしょうか。
 3)学会の教義を乱暴にまとめてしまうと、「諸法は一法より生ず」に基づき、一即全となり、その「一」とは、南無妙法蓮華経=宇宙のリズム=ブラフマン(大我)、ゴッド、大極、気といった汎神論的流出論を根幹する、一種の神秘主義的な色彩の持つ、万教同根思想が底流にあるような気がしてなりません。
 具体的にどこがと問われると、お答えのしようがないのですが、印象として抱いており、この辺りについて学問的にはどうような論及がなされているのかをご教示願えれば誠にありがたく存じます。
 (あくまでも横レスですので、気になされないで下され。皆様の議論がその方向へ向かっていけば幸いだなという期待ですので)。


SGI居士さんへ ( No.70 )
日時: 2002/11/12 10:43
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>69 SGI居士さん

>  1)密教は仏教でないとの見解。それも一理あると捉えますが、原仏教が
> インドでヒンドゥー教に取り込まれる(取り込んでいく)過程で密教を成立
> させ、中国・日本へと伝播してきたとの認識に立てば、密教も仏教のカテゴ
> リーではないかとの疑問が残ります。いかがでしょうか。

 私の場合には、《仏教とは縁起説(無我説)である》という立場にたって、
《密教は仏教ではない》といっています。つまり、密教の思想的な立場の中身
(内実)を問題にして、はたしてそれは《仏教》といえるのかという観点から
いっているわけです。そのような観点からみれば、密教化というのは、仏教が
仏教でなくなっていく過程ということになると思います。

  仏教の消滅(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/060.html

  如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/001.html

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  密教はインド仏教の最終期に登場したが、その内実は土着信仰に同化し、
  仏教の特質をほとんど喪失していた。

  (『仏教哲学大辞典 第三版』、創価学会、2000年、p. 1613b)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

>  2)「宇宙即我」が近代大衆思想として、今日それなりの拡大と支持を得
> ているのが現実でもあると思います。だとすれば、それが太陽信仰やアニミ
> ズムに基づくものであり、本来仏教その他の宗教と一線を画くものであって
> も、この大衆思想が仏教その他の宗教―いわゆる高等宗教を飲み込む可能性
> は、いかがでしょうか。

 SGI居士さんが「飲み込む」ということをどういう意味でおっしゃられて
いるのかがよく分かりませんが、少なくとも、創価学会の場合には、《すでに
内実は仏教ではなくなっている》のではないでしょうか。そのような「仏教離
れ」をどう評価するかはまた別の議論になるのかもしれませんが、私は「仏教
離れ」には反対です。

>  3)学会の教義を乱暴にまとめてしまうと、「諸法は一法より生ず」に基
> づき、一即全となり、その「一」とは、南無妙法蓮華経=宇宙のリズム=ブ
> ラフマン(大我)、ゴッド、大極、気といった汎神論的流出論を根幹する、
> 一種の神秘主義的な色彩の持つ、万教同根思想が底流にあるような気がして
> なりません。

 「万教同根思想」という部分の意味がよく分かりませんが、《宇宙生命論》
が《一元流出論を根幹とする神秘主義的思想》であることは間違いないのでは
ないでしょうか。思想的には密教と変らないと思います(>>68)。


> 「如來藏は佛教であり、如來藏 (佛性)は『基體論』でない」(釋恆清師、>>58)

 私も、《基体説でない仏性思想》は仏教だと思っています。智ギの場合には、
《正因仏性=中道》ですね。また、『摩訶止観』では「一色一香無非中道」と
もいわれています。

  大乗『涅槃経』の後半で説かれる仏性思想(藤井教公)
  http://fallibilism.web.fc2.com/047.html

  無自性=正因仏性(藤井教公)
  http://fallibilism.web.fc2.com/075.html

  「如来蔵思想批判」の批判的検討(Libra)の2.
  http://fallibilism.web.fc2.com/ronbun01.html#chapter2
  
 しかし、私は、《宇宙生命論》は《基体説》であって仏教ではないと思って
います。釈尊は「宇宙そのもの」ではないと思います。「久遠の本仏」にも初
発心がありますので、決して「宇宙そのもの」などではないと思います。

 《中道》は《永遠の真理》といってもよいかもしれませんが、それを智慧と
してさとって人々に語る存在(仏)が誕生した瞬間に仏教は始まったのだと私
は思っています。

  真理に口はない(Libra)
  http://fallibilism.web.fc2.com/link_log_10.html#0104051130

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.61 )
日時: 2002/11/08 16:22
名前: 顕正居士


>私も、《基体説でない仏性思想》は仏教だと思っています。

「基体説」が仏教の中にあれば、それも仏教です。同義反復だから。そもそも
「仏教の中の○○は仏教でない」という言明が意味を成さない。「基体説」は
西田や田辺の哲学についていう言葉であるから、「基体説」が何であるかを
定義し、西田や田辺の哲学に類似した思想が仏教の中にあり、それは仏教中の
異端思想であると云うなら、仏教以外のいかなるインド思想から発達し、混入
したのか、経緯について文献学の証拠を呈出しなければならない。かつそれが
なぜ20世紀日本の思想に類似するか、比較哲学の上で論じなければならない。
釋恆清は批判仏教は批判精神が欠如した日本社会を批判する言論ではあるが、
仏教や仏教学との相関性は少ないと述べるわけです。

参考-西田哲学入門講座
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/nisida.html

>私は、《宇宙生命論》は《基体説》であって仏教ではないと思っています。
今日、宇宙生命論はあらゆる日本宗教の教義であるから、西田や田辺の哲学
と関係があるのだろうと思う。中国語で「宇宙生命論」というと、「地球外
生命論」の意味であり、独特の日本語ではある。しかしそれは西田や田辺で
突然できたわけではなく、「アニミズム」を否定しないままに発達した日本
思想の表現であろうから、宇宙生命論が仏教でないなら、日本仏教は仏教で
ないことになる。および、日本の「アニミズム」が「基体説」であるのかは
疑問である。国民総動員から今日にいたる「1940年体制」の思想に過ぎない
可能性がある。批判仏教はここ数十年の日本社会を批判する言論であったに
過ぎないかも知れない。


顕正居士さんへ ( No.62 )
日時: 2002/11/08 16:47
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>61 顕正居士さん

> 「基体説」が仏教の中にあれば、それも仏教です。

 顕正居士さんが、「創価学会は仏教の外側に飛翔している」といわれる時の
「仏教」というのはどのような意味でしょうか。その点だけ確認させていただ
ければ幸いです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  創価学会は梵我一如(「宇宙即我」)と云うように仏教の外側に飛翔して
  ますが、理論的用意は国柱会です。

  (旧掲示板「Beat Me !」、No. 51、00/04/08 Sat 17:44:43、
    http://fallibilism.web.fc2.com/Beat_Me_001_100.html#51
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  

 私は、これまで、いろんなところで創価学会の宇宙生命論を批判してきまし
た。新しいネタがあるわけでもありませんし、ここでまた同じことを繰り返す
つもりはありません。もちろん、これまでの私の主張にも十分でないところは
おそらくあるでしょう。

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.63 )
日時: 2002/11/08 17:35
名前: 顕正居士


>顕正居士さんが、「創価学会は仏教の外側に飛翔している」といわれる時の
>「仏教」というのはどのような意味でしょうか。

「宇宙即我」は近代大衆思想であり、「梵我一如」はインド思想である。
日本仏教の思想には表現の類似性はあるけれど、これらと同一ではない。
要するに
1-日本仏教のは「万象即実在」で、「宇宙即我」とは違う。
2-「梵我一如」はぜんぜん違う。

ゆえに「仏教の外側に飛翔している」と書いたとおもいます。

顕正居士さんへ ( No.64 )
日時: 2002/11/08 18:27
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>63 顕正居士さん

 さっそくのコメントありがとうございました。しかし、私には、顕正居士さんのお考え
がよく理解できませんでした。すべて私の理解力不足・勉強不足のせいだろうと思います。

 まず、以下の3つの思想の中身の根本的な差異を説明して頂ければ幸いです。
 
  1.近代大衆思想の「宇宙即我」

  2.インド思想の「梵我一如」

  3.日本仏教の「万象即実在」

 国柱会によって用意され、創価学会でいわれている「梵我一如(「宇宙即我」)」は1.
であり、日本仏教(3.)の外側に飛翔しているということでしょうか。

基体説 ( No.65 )
日時: 2002/11/08 18:28
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>62

 前回のような書き方では、読者の方々に対してあまりにも不親切だったと思いますので、
一応、現時点での私の考えを以下にまとめておきます。

1.私がいうところの「基体説(dha ̄tu-va ̄da)」とは以下のような説のことです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  “dha ̄tu-va ̄da”とは、現象的なあれこれの存在は、「無常」であり、「無我」で
  あるが、それらを生み出す原因となる基体(dha ̄tu 場)それ自体は、「常」であり、
  「我」であり、実在であると説くものである。

  (松本史朗『チベット仏教哲学』、大蔵出版、1997年、p. 408)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2.《宇宙生命論》は《基体説》だと私は思っています。

  宇宙生命論は仏教ではない
  http://fallibilism.web.fc2.com/z001.html

3.私は《仏教とは縁起説(無我説)である》と理解しています。そして、《縁起説》は
  《基体説》を否定するものであると理解しています。

  ウパニシャッドのアートマン説(佐倉哲)
  http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_1.html

  原始仏教における生命観(高橋審也)
  http://fallibilism.web.fc2.com/059.html

  如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/001.html

  「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/052.html

  中国仏教の底流─万物一体の思想(伊藤隆寿)
  http://fallibilism.web.fc2.com/081.html

4.ゆえに、私は、《宇宙生命論は仏教ではない》と考えています。

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.66 )
日時: 2002/11/08 20:00
名前: 顕正居士


1-近代大衆思想の「宇宙即我」
「宇宙即我」は密教から直接なのかも知れないが、セットで「生命哲学」が
ある場合は、近代の大衆思想に淵源すると思う。「太陽崇拝」の系列である。
参考-『宗教と科学について』
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm

2-インド思想の「梵我一如」
仏教における中観帰謬論証派のように、インド哲学において究極の思想である
とされるシャンカラの不二一元論は梵(=我)のみが実在し、現象は幻である
とします。汎神論も流出論も否定されます。

3-日本仏教の「万象即実在」
「一色一香無非中道」をキーワードに日本で発達した思想である。猿のなく音
も、谷川の流れる音も、みな妙法を説く、現象の奥や中心の実在を考えない。

4-国柱会
本仏、本化、戒壇、天皇など、日本思想になかった「中心」を作った。日蓮の
思想は日本仏教の中では異端で、「中心」を求める傾向をもともと有する。

創価学会を含めた日本宗教の教説は3から1へシフトしているが、いくぶん4も
残存する。2は全然、関係がない。


つれづれなるままに…。

 大学1年の時、一般教養科目で哲学を履修し、インド哲学に触れた。ウパニシャッドだった。梵

我一如を知った時は驚いた。感動すら覚えたものだ。これは、学会の教学・池田先生の思想と同じ

だ、と。釈迦はインドの人。バラモン(外道義の意味ではなく)の土壌から仏教が生まれ、その中

で発展し、中国を経て、日本に到来し、大聖人へと引き継がれ、今学会がある。古代からの人類の

哲理が凝縮され、1つの宗として体系化され、それが人類の福祉・幸福・平和へと広がっている。

なんと雄大で高邁な営みであろうか、と単純に受け止めたのである。

 学生時代、学会本部や学内などで度々御書講義を受けた。そこでは通常の組織で行われる御書講

義・学習会とは異なり、「ここだけの話にして、胸に秘めておくように」といわれながら、正宗教

学を否定するような新しい解釈が語られ、議論が交わされていた。なんと大聖人の仏法は深いんだ

、すごい、と単純に興奮しながら、毎回この講義に胸を躍らせ参加したものだ。「ハワイ・レポー

ト」で指摘されているようなことは、報告以前より学会の方向性として取り組まれていたのである

。松戸氏や菅野氏、中野氏らも、そのような機会を通して薫陶も受け、そして学術の道に進み、自

己のテーマとして追究していったのであろう。

 日蓮正宗の教義は、極めて特異な教義である。特異であるが故に、正法正義なのか、それとも普

遍性を有しない田舎宗教なのか。実は、私自身においては結論が出ていない。だが、学会SGIは

違う。在家主義を志向するから脱・正宗を図ったのではない。教義においても決別しているから、

正宗を切り捨てたのである。正宗の伝統教義では、世界宗教になりえないと判じている。しかし、

その目指そうとしている宗教観・教義・化儀等が、明確に語られることがない。今のところ、名誉

会長の言動や対談、学会の施策などから読み取っていくしかない。

 学会SGIの教義は、西洋近代思想(合理主義・啓蒙主義・形而上学等―強引な括り方ですが)

の論理で語られ、世俗化・多元論の地平にあると思われる。その上で、原理主義も含めて世俗化・

多元論を発展・超克させた新しい宗教観を築こうとしているのかもしれない。本当のところは、判

りません。おそらく現下は、携わっている人々の、それぞれの捉え方・考え方がぶつかり合いなが

ら、教団としては対機法で判断しながら推進しているのではないだろうか。

 顕正居士さんがおっしゃっている「日蓮離れ」は、顕正居士さんにお聞きするとして、学会SG

I自体の歴史的な経緯を踏まえれば、日蓮大聖人の存在を無視することはできないと思う。しかし

、正宗や日蓮宗の宗学で語られるような「日蓮」ではないだろう。世俗化・多元論を発展・超克さ

せた新しい宗教観を構築していく時、「日蓮」の見直しがなされると想像する。その場合、これは

確かなる論拠があるわけではないが、世界中の宗教を止揚させようとする時、ウパニシャッド・梵

我一如を利用し、「日蓮」を生かそうとするのではなかろうか。
 でも、そのような宗教が正法正義とは、私には思えないのですよ…。

と、整理がつかないまま、思いつきで書いております。
気に留めず、忘れてください。単なる迷い言です。
Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.53 )
日時: 2002/11/08 00:31
名前: SGI居士



あれ、なんでこんな風に表示されるの?
すみません。みっともなくて、体裁が悪いね。

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.54 )
日時: 2002/11/08 06:16
名前: 顕正居士


宇宙生命論は創価学会でだけ云われるのではありません。

「釈尊の本体である久遠の本仏、それは宇宙そのものであります。宗祖は今此
三界合文(定遺二二九二頁)という御書の中に伝教大師の著書を引用されて
「釈迦如来は是れ三千世間の総体」と仰せでございます。さらにこの久遠御本
仏を大聖人にお聞きいたしますと、「釈尊一人のみの本体でなくして、私ども
の全人類の内観である」とされています。即ち観心本尊鈔に「我等が己心の
釈尊は、五百塵点、乃至所顕の三身にして、無始の古仏なり云々」とお説きに
なっているわけでございます。
 これは何を物語っているかというと、大宇宙を本体とする仏の姿、宇宙生命
論というものを大聖人が御提示あそばした、それがとりもなおさず、私どもの
己心の中に具足しているということであります」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/02/02_070.htm
日蓮宗で云われるわけでもなく、日本宗教全部でしょう。

日蓮宗は「常楽我浄」の宗教です。密教と同じです。
http://www.ginpa.com/column/20001217.html
妙法蓮華経が経の題に過ぎないなら、唱題修行など成り立たない。

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉て、我が己心中の仏性南無妙法蓮華
経とよびよばれて顕れ給ふ処を仏とは云ふなり。 譬へば寵の中の鳥なけば空
とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば寵の中の鳥も出でんとする
が如し」
http://nakanihon.net/nb/gosyo//hokkesyosinnjoubutusyou.htm
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持て、南無妙
法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは
申すなり 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之に依て曼陀羅とは
申すなり」
http://nakanihon.net/nb/gosyo/nitinyogozegohennji.htm
胸中の肉団とは心性蓮華すなわち如来蔵です。

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.55 )
日時: 2002/11/08 07:05
名前: 顕正居士


日蓮離れ

とは日蓮を離れて直接に法華経、仏教、哲学に向かうような意味であり、
要するに、「池田先生の著作」などの傾向のことです。

http://www.pegasus-pro.com/~jonathan/data/literature.htm

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.56 )
日時: 2002/11/08 08:01
名前: 顕正居士


"Index of Books & Essays by Jacqueline Ilyse Stone, Ph.D."
http://campross.crosswinds.net/bodhisattva/JStone.html

中古天台と日蓮の専門家であるJ.I.Stoneさんの幾つかの論文が読める。
pdf fileはとても読みにくいが。この方はSGI版GOSHOの翻訳者の一人。
顕正居士さん&SGI居士さんへ ( No.57 )
日時: 2002/11/08 09:16
名前: Libra(管理人)
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


 コメントありがとうございました。議論を中断させてしまい、申し訳ありま
せんでした。
Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.58 )
日時: 2002/11/08 12:34
名前: 顕正居士


WEBで読める批判仏教批判論文でまとまっているものに

釋恆清師(台湾大学教授)『「批判佛教」駁議』(哲學論評第二十四期)
http://ccbs.ntu.edu.tw/FULLTEXT/JR-MISC/misc99885.htm#[18]

がある。

第三節「如來藏は佛教であり、如來藏 (佛性)は『基體論』でない」頁13

縁起法「此有彼有,此滅彼滅」前後法的相依性,就是縁起法的「界」性。換言
之,「縁起」即亦指「界」(sa-dhaatu)。[25]因此,「界」與「縁起」的觀念
相容而不悖。

法が縁起するとは「此れ有れば彼有り、此れ滅すれば彼滅す」、前後の法が
相依ってあるとは、すなわち縁起する法に「界」(区別)があることである。
言換えれば「縁起」とはその「界(=区別)」(sa-dhaatu)を指す。ゆえに
「界」と「縁起」の概念は相容れて悖らない。

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.59 )
日時: 2002/11/08 14:13
名前: 顕正居士


>日蓮正宗の教義は、極めて特異な教義である。特異であるが故に、正法正義
>なのか、それとも普遍性を有しない田舎宗教なのか。
ローカルな宗教に違いありませんが、室町時代以後の日本文化の基調に流れる
「中古天台本覚法門」を冷凍保存したような教義(今日、正しく解釈されては
いないが)に意義があり、希少種のマイナー宗教といえます。

>だが、学会SGIは違う。在家主義を志向するから脱・正宗を図ったのでは
>ない。教義においても決別しているから、正宗を切り捨てたのである。
教義とも訣別を目指しはじめたとはいえます。

>しかし、その目指そうとしている宗教観・教義・化儀等が、明確に語られる
>ことがない。今のところ、名誉会長の言動や対談、学会の施策などから読み
>取っていくしかない。
今後は「脱日蓮正宗」という方向を池田大作氏は早くからいだいていたので
なかろうか。戸田城聖氏もそれが必然の方向と考えたかも知れない。いわば
牧口常三郎氏への回帰である。「脱ローカル宗教」には教義(学問)、儀礼
(芸術)、教化(教育)、組織(経営)、様々の分野での発明が必要である。
創価学会を批判する旧専従者幹部は幾人もいるが、「脱日蓮正宗」具体化の
発明をし、それが池田大作氏などの最高経営陣に採用されず、批判に至った
のでなく、日蓮正宗ファンダメンタルに回帰した人ばかりである。

>そのような宗教が正法正義とは、私には思えないのですよ…。
創価学会専従あるいは類似の職場から、娑婆へ転職するのに絶対に必要なの
は、先ず、創価学会を蔽う日蓮正宗ファンダメンタル信仰の忘却であると
わたしはかんがえます。

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